どんなダンスを踊るのかというのは当然のことながら生徒たちが決める。
そもそもダンスを踊ることがない顧問が意見する範囲は限定的であり、そこからはみ出ることない。
それでも顧問の考えと生徒の考えが融合してダンスが出来上がって行くことも当然ある。
伝統を培い、そこからまた新しいものを築きあげていく。
ダンスを通じた表現活動であり、そこにはなにかしら独自の演舞を作り上げたいとう願いがある。これまでなかったものを観たい、また多くの人に観てもらえればなと思う。
それはもちろん簡単な作業ではないけれど、踊る限りは挑戦を続けようと思う。
今回の大会作品もこれまでの一条の伝統や積み上げ、そのエッセンスが詰まっているという評価を多くの卒業生や一般の方から得た。
現在の高校ダンス部シーン、その主流なるものとはけっこう異なるかもしれないが、我らの流儀を貫いて、よきダンスを目指し続けたい。
観る人の心に届くものとは、新鮮でエネルギーに溢れ、そのものたち自身に由来するものである。
確かなオリジナリティをそこにもつもの。
一条のダンス部は常にそこに立つ。
2015年、2019年にひきつづいて、このブログでの再再録となるが、オリジナリティについての考察を再再度、確かめよう。
「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものであること」
オリジナリティとは何か、シンプルではあるけれど、こんな感じがまあいちばんしっくりくるのではないだろうか、と作家の村上春樹氏は新作の自伝的エッセイの中で述べている。
ポーランドの詩人ズビグニェフ・ヘルベルトはこう言う「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」と。この言葉もエッセイの中で紹介されている。
表現されるもので、それを見る人、聞く人、読む人の心を突き動かすもの。オリジナルであること。
「あらゆる表現作業の根幹には、常に豊かで自発的な喜びがなくてはなりません。オリジナリティとはとりもなおさず、そのような自由な心持ちを、その制約を持たない喜びを、多くの人々にできるだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的なかたちに他ならない」と彼、村上氏は言う。
一条高校ダンス部員諸君 「流れに逆らって泳げ」
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